2012年ブログ初め

2012年になったら毎日ブログを書こうと思ってたのに気がついたらもう10日。三日坊主も登場の機会すら与えてられていない状況。

まぁ本日研究会という名の火あぶりの刑をかいくぐって行きつけの定食屋初めをしたので、今日でようやく年が明けたと言っても何ら差支えの無いレベルではある。年始にすることといえばまずは抱負であろうということなので、それについて考えてみる。

今年はなんといっても18年という長い長い学生生活が終わる年。そして長い長い社会人生活の始まる年。修論に追われている正に今はそれほど実感も無いけれど、後一ヶ月もしないうちに修論を提出し、2ヵ月後には卒業旅行に行き、3ヶ月後には間違いなく僕は京都にいない。環境面でも、精神面でも大きく変化が訪れるであろう年。そんな一年の抱負を考える。

1:「超人」になる。

今年の研究室の書初めに書いた言葉。決して「人外」ではない。胸にでかでかと「S」の文字を付け、マントをヒラリと身に纏うスーパーマンなどでもない。これはもちろん研究に関してである。一時期「一番じゃなきゃダメなんですか」という言葉が流行ったが、研究の世界では一番でなければ意味が無い。今まで学生であることを良いことになおざりにしてきた、そういう世界で生きて行く「覚悟」を、改めて持ち直すという意味を込めて「人を超える」のである。

2:「人の賢さ」を見る。

昨年は東日本大震災を始め、日本のみならず世界に対して試練の多い年であったと言える。それに伴い目にするのは、数々の立場における「正義」を振りかざした「正論」の応酬であった。当事者意識が薄く、自分の意見を持たない僕は、それぞれの主義主張を正しく汲み取ることができなかったこともあり、ただ批判、非難をしているという印象を受けた。そういう人々を見るにつけて、発言の本質を理解することを放棄した僕はただひたすらに「愚かだなぁ」という勘違いも甚だしい感情を抱いていた。その時は全ての人の発言がそういうフィルターを通して聞こえるから怖い。そしてそのフィルターが産み出すものは、ただ陰鬱とした考えばかり。

というわけで、今年はそういう発言の中にも一歩踏み込んで積極的に「人の賢さ」を見つける姿勢を持とうと思う。それは言い換えれば、多くの「正義」の立場を知る、多くの価値観を知ることにもつながる。さらに人生ちょっと楽しくなるかもしれない。一石N鳥の効果である。ただし、Nは3以上の整数である。

引用は、某ぐまぐまなゲームのセリフ。

人の愚かさばかり見る、君の生き様に光明はあったかい?

3: 脱とりとめもない不安

いつだったか、目にした言葉に

全力で走る人に、不安はついていけない

というものがあった。これはなかなか上手く言い得ているなぁと感心したものである。去年の春頃、研究も上手くいかない、やりたいと思っていたプログラミングにも手を付けれてない、趣味も深めれてない、などなど中途半端な状態が続いた時期があった。その頃は毎晩布団の中で「自分はこのまま成長しないのではないか」というとりとめもない不安に苛まれたものである。

しかし、9月頃に研究にある程度の目処が立って、「とある国際学会の提出に向けて頑張りましょう」となって、それに向けて全力で取り組んだ2ヶ月はまったくもってそのような不安は出てこなかった。(もちろん、それまでにも研究には全力投球していたつもりだったが、より一点集中して研究した。)「僕はこれからどうなるんだろう?」という漠然とした不安を考える暇があったら、今取り組んでいる問題を「どうしたら解けるか?」ばかりを考えていて、不安が入る隙間が無かったと言える。僕の場合、とりとめもない不安が起きるのは概ね行動を起こしていない時である。もちろん、たまには自分の人生を憂いて不安に駆られることもあるし、そうなるのは大事だとも思うけど、不安が大きすぎるとその圧力に足が竦んで何も手につかないという状況は極力避けたい。

と、まぁ読み返してみると意外と意識高い学生っぽいこと書いてるけど、それはいわゆるネット弁慶であるだけで現実の僕といえば相変わらず冴えない大学院生ライフを満喫中である。この日記は研究会を終えた開放感と少々酒の力を借りたことによる産物であることに注意されたい。次の日記からはもう少し愛されゆるフワ脱力系ブログでも書くことにしよう。